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中国の古典

大分暖かくなりました。ストーブをつけなくてもいられる日があります。灯油代もばかになりません。

新聞を読んでいたら国立大学の入試問題が載っていました。今は受験シーズンですからね。全く歯が立たないです。もう取り組もうという気にはなりません。受験生は睡眠時間を惜しんで勉強していることでしょう。昔は三当五落なんて言葉がありました。三時間の睡眠時間ならば合格するが五時間の睡眠時間では不合格になるという猛勉強を表した言葉です。そういう受験生のために放送の合間に中国の古典「金瓶梅」の朗読があったりしました。私は楽しみに聞いていました「ナチチャココンビ」の金瓶梅です。最近中国のファッション界のニュースが流れていましたがこういう面も中国にはあるんでしょう。きっと「金瓶梅」の世界でしょう。

私は中国の古典では「水滸伝」が好きです。三国志も有名ですが読んだことはありません。なぜでしょうかね。水滸伝は2回読みました。1度目は高校時代の時。2度目は40を過ぎてから。1度目は槍の名人の天雄星林冲という豪傑に関心を寄せました。「槍の使い手」というのが気に入ったのです。2度目の時は林冲という豪傑にはあまり関心を持ちませんでした。それよりも人間味豊かな二丁板斧の使い手天殺星李逵(りき)という豪傑が印象に残りました。この李逵という豪傑だけが人間らしく描かれているようです。母親が登場するのですが途中で消えてしまいあとは全然現われません。再び再会するということはないのです。李逵も母親のことは思い出しません。中国の豪傑には母親はいないのです。

中国の古典は世界中で読まれているのでしょう。戦前のアメリカの作家マークトゥエインの「アンクルトムの冒険」という本を読んでいたらこの水滸伝に触れた文句に出会いました。次のような言葉でした。「あちらでは戦いの後に酒宴を催すそうだ」。水滸伝も豪傑が活躍した後には必ず酒宴を催すのです。水滸伝は日本だけで訳されているのではないのだということを知りました。