狩野探幽とは?

お題「芸術の秋」

台風16号が近づいていますね。今日夜半には関東に近づくという予報です。「秋分の日」は晴れてくれるでしょうかね、お墓参りを予定しているので心配です。

先週のブログで、トマトが江戸時代初期に外国から渡ってきた野菜であり、当時の画家狩野探幽にトマトの絵があるという話を書きましたが、狩野探幽とはどういう絵描きだったのか興味を持ちました。

狩野 探幽(かのう たんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日) - 延宝2年10月7日(1674年11月4日))は、江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野孝信の子。つまり狩野永徳の孫にあたる。法号は探幽斎、諱は守信。早熟の天才肌の絵師、と評されることが多いが、桃山絵画からの流れを引き継ぎつつも、宋元画や雪舟を深く学び、線の肥痩や墨の濃淡を適切に使い分け、画面地の余白を生かした淡麗瀟洒な画風を切り開き、江戸時代の絵画の基調を作った。

探幽の画風は後の狩野派の絵師たちに大きな影響を与えたが、彼の生み出した余白の美は、後世の絵師たちが模写が繰り返されるにつれ緊張感を失い、余白は単に何も描かれていない無意味な空間に堕し、江戸狩野派の絵の魅力を失わせる原因となった。すでに晩年の探幽自身の絵にその兆候が見られる。近代に入ると、封建的画壇の弊害を作った張本人とされ、不当に低い評価を与えられていた。しかし近年、その真価が再評価されている。 描かれた題材によって「余白」に意味をもたせた画家のようですね。

 

代表作には、
●二条城障壁画(重要文化財
大徳寺方丈障壁画(重要文化財
東照宮縁起(重要文化財