故三笠宮殿下のお妃「百合子様」ご逝去

今日は11月16日、新宿区は曇りです。気温は最高気温が19度、最低気温が14度。

昭和天皇の弟として国民から親しまれた「三笠宮殿下」のお妃「百合子様」がお亡くなりになったそうですね。享年101歳。

百合子様は、華族の「高木子爵」の次女として1923年にお生まれになった。学習院を卒業し、1941年(昭和16年)に18歳で大正天皇4男として生まれた三笠宮孝仁親王と結婚。子宝にも恵まれた。以来激動の昭和史を生き抜いた人です。

東京大空襲の時は、伝記などによると、戦時中当時1歳の長女・甯子内親王を抱え、防空壕生活を余儀なくされた。この時の豪空豪生活では、若手青年将校らが集まり「戦争継続か否か」についての激論があったという。

戦後は、1948年(昭和23年)、母子愛育会の総裁に就任し、2010年(平成22年)に退任するまで60年余りにわたって母子保健の向上に力を尽くした。

皇室では、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)まで皇室会議の予備議員を務め、1991年(平成3年)より皇室会議の議員を務めた。その後、2007年(平成19年)9月より再び予備議員となり2015年(平成27年)9月まで務めた。

三笠宮孝仁親王がお亡くなりになると、91歳で「三笠の宮家」の当主となる。

晩年には、癌の摘出手術なども受けられましたが、100歳を超える長寿は、「病との戦いの強い意志」があったからでしょう。

聖路加病院に入院されておりましたが、11月15日午前11時ごろに安らかに息を引き取ったそうです。死因は「老衰」だそうです。ご冥福を祈ります。

百合子様の「収斂の儀」は11月26日に「豊島岡墓地」で行われるそうです。

晩年はいろいろ病気に悩まされたようであるが、100歳を超えての長寿で、皇族の中では最長寿であった。

11月26日に先例に倣った「修練の儀」が行われるそうです。ご冥福をお祈りします。日本の旗 日本・東京都中央区 聖路加国際病院
配偶者    三笠宮崇仁親王
子女    近衞甯子(甯子内親王
寬仁親王
桂宮宜仁親王
千容子(容子内親王

1941年(昭和16年)、女子学習院本科(現:学習院初等科学習院女子中等科・高等科)を卒業[2][3]。同年10月3日、納采の儀を経て大正天皇の四男である三笠宮崇仁親王と婚約。同年10月22日、結婚の儀を行う。2年6か月後の1944年(昭和19年)4月26日に第1女子・甯子内親王が生まれる。
高円宮憲仁親王

第126代・今上天皇徳仁)の大叔父。

 

東京大空襲で全焼。伝記などによると、百合子は戦時中当時1歳の長女・甯子内親王を抱え、防空壕生活を余儀なくされた。

1948年(昭和23年)、母子愛育会の総裁に就任し、2010年(平成22年)に退任するまで60年余りにわたって母子保健の向上に力を尽くす。

皇室では、1963年(昭和38年)から[4]1967年(昭和42年)まで皇室会議の予備議員を務め、1991年(平成3年)より皇室会議の議員を務めたが[5]、2007年(平成19年)9月より再び予備議員となり2015年(平成27年)9月まで務めた

大正天皇貞明皇后の第4皇男子。昭和天皇は兄(長兄)、第125代天皇・現上皇明仁は甥